はじまりは『つなぐ通信』
左 時枝さんとの出会い
女優・左 時枝さんと初めてお会いしたのは、2013年4月22日。青空に大きな鯉のぼりが泳ぐ美しい日でした。初めて世田谷線に乗り、緑が眩い世田谷八幡宮の境内を通り、時枝さんと造形作家の市田喜一さんご夫妻の自宅を訪ねました。この日は『つなぐ通信』Vol.2の取材。毎回魅力的なシニアにインタビューするコーナーです。しかし『つなぐ通信』はまだ2号目で手探り状態。取材もスタッフの縁故が頼りで、時枝さんは副編集長の首藤昌子の縁故でした。
あれから8年後の2021年5月5日。私たちは再び時枝さんのご自宅を訪ねました。雨が心配な曇り空ではありましたが、世田谷八幡宮の社務所にはあの鯉のぼりが!私たちは8年前と同じように世田谷八幡宮の土俵を通り、八幡大神様を参拝して、当時を思い浮かべながら懐かしいご自宅へと向かいました。
「私たち」とは、『つなぐ通信』編集長の成田典子、副編集長の首藤昌子、アートディレクターの辛嶋陽子の3人です。8年間で私たちは時枝さんとすっかり仲のいい友人になっていました。この日は自慢の庭でお茶しましょうとお誘いいただき、ウキウキと出かけたのでした。そしてランチもとうに過ぎて、終電を心配するくらいの時間まですっかり長居を・・・何しろ8年間のブランクを感じさせないくらい、居心地がいいのです。住まいも左 時枝という人間も。女優だけではない、多彩な才能を持つ左 時枝、暮らし方やファッションなどの美意識も含め、時枝さんの魅力を書きたくなり、「つなぐProject」のブログ第1号でご紹介することにしました。
左 時枝さんと市田喜一さんのアートな暮らし
『つなぐ通信』は現在18号で休刊中ですが、著名人をインタビューするこのコーナーで、自宅に取材に伺ったのは、時枝さんと漫画家のちばてつや先生の2人だけです。しかも生活空間を見せてくださり、自らお茶でおもてなししてくださったのは、時枝さんだけでした。ご夫婦をインタビューさせていただいたのも後にも先にもこの時だけです。
時枝さんは、女優ではありますが、画家としての顔も持っており、そこにとても興味がありました。ご主人の市田喜一さんは著名な造形作家で、美術集団サンク・アールの創始者として業界ではとてもリスペクトされている方です。そういうクリエーターのお2人が、どんな暮らしをされているのか興味津々でした。
お住いはマンションの1階。リビングはギャラリーのようでもあり、アトリエにもなっていました。時枝さんの描きかけの大きなキャンバスがあり、壁には市田さんの版画、庭や部屋のあちこちに、鳥や虫にも見える古びた鉄や真鍮の不思議なオブジェがあります。そしてお孫さんの絵も、かっこいいフレームに入れて飾られています。まるでパウル・クレーやバスキアの作品ように。生活空間とクリエーション空間がとても自然に融合された、なんとも心地いい住まいでした。
<つなぐ通信編集部ブログ>もご覧ください
http://tsunagu-t.com/pc/blog/2754/
左 時枝さんの美意識
決して広くはない住まいで、自分たちの好きなものに囲まれて、無理をせずに楽しみながら暮らしている様子は、時枝さんが出してくださったお茶のカップを見ても感じました。全部が違う種類なのです。購入したもの、いただいたもの、様々のようですが、「これがいいのよ」とニッコリ。時枝さんは、着るものも身につけるアクセサリーも、自分の価値観で選びます。ブランド品もありますが、自分でリフォームしたもの、おもちゃのようなPOPなものなど、そのコーディネートが実にセンスがいいのです。この話は後ほど書くとして、、、実は私たちが取材してから間もなく悲しい出来事がありました。
この年の11月25日、市田さんが永眠したのです。体調がすぐれないことは少し伺っていていました。『つなぐ通信』の取材時もお顔が優れないのが気になっていましたが、この訃報にはとても驚きました。6月7日~7月28日は、茨城県のしもだて美術館で時枝さんと市田さんの2人展を開催したばかりでした。
それから数年後・・・私たちにもいろんな出来事があり、時枝さんと再会した時は、お互いそういうことを乗り越えた暗黙の理解というのを感じました。みんな新たなスタートを切り、次のステージを生きているのです。それから一緒に食事をしたり、時枝さんの展示会に出かけたり、時枝さんが出演している映画を観たり、ラインで情報交換する仲になりました。
今回はここまで。次回は、女優としての左 時枝、画家としての左 時枝、ガーデナーとしての左 時枝、手芸家としての左 時枝のお話を・・・
文・写真:つなぐProject/成田典子